豊かなる西別川が育む 西別鮭
徳川家にも献上されていた究極の鮭 昔ながらの強塩で熟成された鮭の魅力に昭和の舌は虜になる 毎日、ご飯を美味しく食べる為にある魚と言っても過言ではない まさに、日本人の魂の食 昔ながらの山漬けは塩鮭を超えた調味料
“西別鮭は別格”将軍家斉のお気に入り
天明6年(1786年)の幕府蝦夷地調査の頃から、西別鮭は江戸でも評判だったようです。その名声を一気に高めたのは、寛政12年(1800年)、幕府の御納戸頭取、戸川安論が西別鮭を塩引鮭に仕立て、徳川家斉に献上したことに始まります。
家斉は非常にこの鮭を気に入ったようで、翌13年から幕末まで、西別鮭は将軍家と大奥に献上され、全国的にもその名を知られるようになりました。
川が違えば鮭も違う
カムイ・トウ(神の湖)と呼ばれた摩周湖の伏流水を水源とする、ヌウシペッ(豊かなる川)西別川を故郷に持つのが西別鮭。まさに神の魚、カムイ・チェプと呼ぶのにふさわしい鮭の中の鮭です。
伝統的な山漬けの鮭 “ただ塩辛い鮭とは別物、これは調味料”
別海川近くの定置網に掛かった西別鮭を、その日のうちに下処理をして、極上の伝統の味の仕込みが始まります。
先ずはえらと内臓と血あいを徹底的に取り去り、きれいに洗浄して、20日以上塩蔵します。その間、5〜7日間隔で鮭を手作業で並べ換えして、仕上がりを均一にします。この間で鮭の身のアミノ酸値が高まり、ただ塩辛いだけではなく、『うまく』なります。
鮮魚の鮭(3.0〜3.3kg)は内臓除去すると約83%となり、さらに、山漬けすると、55〜60%(1.7kg以上)に絞りこまれます。内臓除去後の鮭から換算すると約30%の水分が絞られたことになります。水分が落ちた上に、うまみ成分比率が増すわけですから、『とてもうまく』なるのは当たり前です。
中辛ですぐに焼ける薄い“浜茶漬け”か? 昔ながらの塩をふく“山漬け”か?
浜茶漬けは常温に戻せば、オーブントースターで焼けるほど薄いです。
朝、浜茶漬けを一枚だけ焼いて、 二人で一枚=ご飯一膳ずつの定番メニューになります。
昔ながらの山漬けは昭和生まれにはインパクトありますが、昔からの鮭好きでないと、最初はちょっと面食らうかもしれません。
焼いていると湧き上がる塩 それでご飯が食べられる! すごい山漬け
子供の頃の記憶がよみがえる、これぞ昭和のプチ贅沢です。
太古の昔から日本人にとって大切な食材である鮭は、日本人の食の定番として確固たる地位を確保し続けてきました。
平安時代、鮭は高級魚で祭祀に欠かせない素材であり、官人の給料として給付されていたくらいです。それも官位の高いものに塩引き鮭や干した鮭が配られていました。※官位の低いものには鯖が配られていたようです。
そんな高級品の鮭も、江戸時代には一般的な食材となったようですが、それでも、鮭は日々の食事の中でもちょっと上の素材であり、贅沢なおにぎりの定番であり、酒の締めの茶漬けの定番で有り続けています。
山漬けを焼く時の匂いでご飯が食べられるほどです。これって何かに似ている・・。
そうです、梅干しに反応する日本人と似た反応を、山漬けに対して身体がします。
輪切りの山漬けを一枚焼けば、二人で一膳ずつ、それも二日楽しめると思います。
極端な話、鮭の表面の塩を箸でこそげとり、熱々ご飯を何膳でも食べられそうです。
甘塩の鮭は場所によりますが、2〜10%の塩分です。この極辛の山漬けは15%以上です。※ちなみに昔ながらの梅干しは18%以上の塩分です。
塩抜きして焼いたり、三平汁にしても良いですが、そのままで焼いて、ほんのちょっとの鮭でご飯を食べるのが至福の時です。また、鮭と卵と葱だけの炒飯も美味です。
中華素材の鹹魚(ハムユイ)とまでは言いませんが、独特な熟成味は調味料的に考える方が良いかもです。しょっぱいと最初は思いますが、間違いなく癖になります。